中学生・高校生ならではの、しなやかな感性とスポンジのように吸収する英語力、若くして多様性の中に身を置きマイノリティとしての経験を経て帰国する子どもたちは、まさに今日本社会が必要としているグローバルマインドを備えた未来のグローバル人材の予備軍たち。

やってみないとわからない・・・実際にどれほど中高留学が子どもたちの将来、進路に大きく影響するか、そしてそれがどれほどアドバンテージをもたらすのか。 そんな留学とグローバル人材のおいしい関係についてお話しします!

世界に通用する「グローバル人材」育成が日本の課題

グローバル化という言葉、ますますよく耳にするようになっています。
みなさん、なぜこれほどまでにグローバル化が叫ばれるのか、本当の意味を考えたことがありますか?

日本にもたくさんの外国籍の人がやってくるから英語が必要だ、つまりそれがグローバル化だ、という話も聞きます。もちろん、日本企業も海外に進出しているので、海外進出しているような大企業に就職するため、ということもあるかもしれません。

が、問題はそんなに単純なことではありません。少し考えてみたいと思います。

近い将来、日本経済のシェアは縮小すると言われています。高齢化による労働人口の減少は大きな要因ですが、もうひとつ大切なのは国際競争力の低迷が予測されています。

日本国内市場での経済成長を見込めない以上、日本は海外にその市場を求めざるを得ません。日本が豊かであるためには、海外に出ていくことが必須なわけです。そんななか、勢いづく他のアジア勢と比べると、日本の国際競争力は減速の一途をたどるといわれます。海外市場での競争に勝てなければ、それはつまり・・・この先、日本は少しずつ少しずつ「貧しい国」になっていくのだ、という現実を突きつけられているのです。だからこそ、今グローバル人材が必要とされているのです。

日本はグローバル化に大きく出遅れ、世界で通用する人材が少ないと言われています。それゆえに、今後さらに国際競争力が低迷すると予測されています。英語を操り、多様性を楽しみながら世界を舞台に渡り合える人材が育っていないといわれているのです。円高による経済成長に支えられ日本ブランドを傘に経済大国として豊かさを享受できる時代はおわりました。

だからこそ、多くの企業がその生き残りをかけ「グローバル化をかかげ、グローバル人材の育成が緊急課題になっているのです。

文部科学省と企業がタッグを組んだ産学連携プロジェクト、トビタテ留学JAPANはご存じだと思います。これはまさに、しなやかな感性を持つ若者たちが、今後世界に羽ばたき、グローバルマインドを備えた人材を育てるための国家プロジェクトです。単なる国際交流で終わらない世界に通用するスキルとマインドをはぐくみ、その芽を大きく育てていくことが私たち大人に求められています。

グローバル人材を育てるための教育とは

さて、どんな人をグローバル人材と呼ぶのかはさまざまに議論され、メディアでもたくさん取り上げられています。近い将来、世界のホワイトカラーの仕事の65%を人工知能が担うといわる中、本当に求められる人材とはどんな人材なのでしょうか?

まず、グローバル人材となるための「必須条件(=スキル)」と「必要な力」というものを分けて考える必要があります。この必須条件とはずばり、「英語力」です。世界共通の言語である英語が話せないと、その舞台にさえ立てないことになるからです。日本の英語教育がどれほどひどいかは良く言われることですが、実際に日本は、アジア諸国の中においても、スピーキング、ライティング、リスニング、すべての技能でレベルが劣ると言われます。特に中国や韓国にも大きく力の差をつけられています。

つまり、残念ながら日本の英語はグローバル化の必要条件にまったく達していないということです。

次に「必要な力」ですが、以前聞きに行ったセミナーで、下の6つを挙げていました。

コミュニケーション能力
実行力
問題設定力
創造力
クリティカル・シンキング
教養

受験偏重の日本の教育制度は、入試を目的に「答えはひとつ」の問題のみに取り組んでいます。知識のインプットばかりを求められ、そこから何かを考えアウトプットする、つまり「知」を創造することの大切さや喜びを全く教えられません。自ら考え、問題を設定・解決するための教育は皆無です。そして協調を重んじるあまり、「自分とは何者か」を問わないままに、没個性をよしとします。

一方、世界では、「常識を疑う/前提を疑問視する」ことが教育の中で大切にされています。「自分とは何者か」「あなたはどう思うか」が大切だとされ、自信をもって世界にでることを教わっているときに、日本はまだ協調を重んじるマス・エデュケーションで子どもたちのクリエイティビティを育てることを怠っています。

日本の教育が変わらなければならないといわれる本質とはここだと私は思っています。英語をツールとして使いこなし、堂々と自分を発信し、世界の人々と渡り合う。多様性を認め、受け入れ、そんな中で同じところを目指して柔軟にさまざまなことを創造していく、そんな人材を育てることこそがグローバル化に必要だと思います。

日本もグローバル人材の育成は待ったなし、今後より本格化していくと思われます。

上にあげたトビタテ留学JAPANもそのひとつです。そして、グローバル人材が必要とされる現在の就職市場においては、そのツールである「英語」が大きなアドバンテージになります。以前、留学コラムで小学生が直面する未来 – “英語”で大学・就職に差という記事を書きました。ぜひ読んでみて下さい。これは、プレジデントオンラインに掲載された「就活も生涯賃金も「英語で得する・損する」これが境界線」という記事をもとに中高留学、特に中学留学の可能性を考えてみたコラムになっています。

このコラムにも書きましたが、知っておいていただきたいのは、中学・高校でバイリンガル並みの英語力を手に入れた子どもたちが日本に帰国して進路を選択するときに、その英語力がどれほどのアドバンテージになるか、ということ。これは知っておかないと本当に損です。中学・高校留学というのは、決して簡単なことではありません。だからこそ、それに挑戦し、さまざまな経験経て成長を遂げた子どもたちは、世界を舞台に輝くことができるまさにグローバル人材予備軍、英語と身に着けたグローバルマインドを武器に進路を選択し、グローバル人材としての道を切りひらいていける力を持つことになるのです。

親として子供に与えてやれる宝物とは

さてここで、親として「自分の子供にどんな教育を与えたいか」、「どんな教育を選択するか」、という課題が出てきます。親である私たちは、それに向き合い、自分で選ぶ必要があるのです。

私は娘が小学6年生の時、それについて真剣に考えました。私は、子供が日本式の詰込み型の教育を受け、日本の教育制度の中で何の疑問もなくいわゆるいい大学に行くことだけがゴールかのような受験偏重の制度の中で成長する未来に価値を見出すことができませんでした。決して簡単なことではないし、子どもにとっても親にとっても大きな挑戦だと思いましたが、若いころの苦労は買ってでもしろ、だと私は思っています。これはもちろん私個人の意見なので、さまざまな考え方があると思います。

私の中ででた結論は、詰め込み式の日本の教育ではなく、「自分とは何者か」「あなたはどう思うか・考えるか」をその教育の中で問いかけ、個性を尊重し伸ばすことにその力点を置く教育を与えたいと思いました。考える力を身に着け、物おじせずに表現する力を身に着けてほしいと思いました。

子供ともしっかりと話したうえで、中学留学を選びました。

さらに、中学・高校で世界を体験し、多様性に触れて自分を鍛えた子供たち・・・彼らの舞台は「世界」です。英語を操り、自分を表現し、さまざまな多様性を尊重し楽しむ土台を持った彼らは、いとも簡単に「世界で生きる」未来を描きます。海外の大学に進学する子供たちも珍しくはありません。

これこそが、中学・高校留学から得ることのできる宝物です。自分たちの未来を思い描くとき、彼らは日本という小さな島国を超えて、広い世界に羽ばたいています! 親が子どもに与えてやれるこの経験こそが、決してなくなることのない、生涯を通してもちつづけられる宝ものだと感じています。